前の職場の同僚が亡くなった。
死因は自殺との事だった。彼は、社歴は私よりも5年くらい長い人だった。
自分から目立って何かをするというよりは、縁の下の力持ち的なポジションで社員が嫌がる面倒くさい作業などを嫌な顔せずに率先してやってくれる人だった。
私は業務で直接何かを頼む事は無かったが、個人的な依頼(読み終えた本のPDF化)をしていたが、何も見返りないのに嫌な顔せずやってくれていた。
私は、彼がなくなる1年前に会社を退職しているので何故亡くなったのかは知らない。役職層が利益だけを享受し、責任を全く取らない会社に愛想が尽きて私は会社を辞めた。
その延長線上に、彼の死があるのではないかと思ってしまう。
私の前にいた会社は、役職層だけが高給で休みは取り放題、役職層が働きやすくするのが部下の務めというカルチャーだった。
そのため、役職層は事なかれ主義なため、自分さえ良ければ良く、役職が下の人をかばう事はしない。
責任は全て、部下のせいになる会社だ。
私はよくも悪くも、役職は関係ないというスタンスだったため、部下からは舐められ、上からは煙たがられていた。
個人的には舐められようと疎まれようと、自分の出しているバリューに対して認めてくれれば良いというスタンスだ。
そのおかげで今があると考えている。
話がそれてしまったが、彼の死は私にとって衝撃だった。
膨大な業務量や責任だけを彼に押し付け、悠々と定時で帰っている役職層が目に浮かぶ。
頼りたくても頼れる人がいない、相談できる人がいない、愚痴れる人もいない、そんな環境が彼を追いやってしまったのだと思う。
どこかでガス抜きができていれば、こんな結果にはならなかったのではと思う。
そして亡くなった事自体を公表しない会社にも頭に来ている。動揺が走るからだろう。
一緒に働いてきた仲間が、亡くなってしまったんだから動揺して当たり前だし、色々と考えるだろう。それの何がいけないのだろう。
臭いもの蓋をし、面倒なものは自分では処理せず、他人任せ、そんな会社にいなくて良かったなと心底思う。
一方で、そこにまだいたら相談くらいは受けられたかも知れないという後悔も残る。
真面目に一生懸命にやっている人が馬鹿をみるのは違うと思う。彼がいなけらば円滑に回らない部分も多くあった。
直接給料で還元できないのであれば、上の人は常に「ありがとう」や感謝の気持ちを伝えるべきだと思う。
感謝されてへこむ奴はいない。
出来ていない部分を責めるのではなく、どうしたら出来るようになるか一緒に考えて欲しい。そして出来ている部分に関しては、徹底的に褒めてあげて欲しい。
自分が出来ていたからとか、自分の時代はそんな事されなかった、とかどうでもいい。
給料で還元できないなら、下の者の声に耳を傾けないなら、せめて感謝の気持ちは伝えるべきだ。
本当に追い詰められる前に、相談して、相談できる相手がいなければ、そんな会社辞めてしまっていい。
人生は仕事の為にでは無く、自分の為にあるのだから。